先週の主日、わたしたちは聖霊降臨を記念し、改めてわたしたちが聖霊の導きに従って生きることを願いながらその祭日を祝いました。聖霊が下されたのは、信じる人々がその聖霊を通してイエス様と共に生き、また、働くようにとするためです。併せて、聖霊降臨によってイエス様はご自分の喜びを私たちにも与えられ、わたしたちがその喜びの中で信仰の道を歩めるようにしてくださいました。その喜びとは、イエス様が神様の小羊としての使命を全うされて得られた喜びなのです。イエス様は人間を救おうとされた神様の救いの計画を果たすためにご自身を捧げましたが、それはイエス様の喜びでもありました。その同じ喜びを、イエス様は聖霊降臨を通してわたしたちにも与えてくださいました。言い換えれば、聖霊降臨によって私たちは自分自身が救われたという喜びを得、さらに、自分がイエス様のように働く人として神様に認められたことの喜びも頂いたということです。その喜びについて、イエス様はかつて山上の垂訓で、「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」とおっしゃいました。信じる人々がどんな状況に遭っても喜びの中で生きることができるのは、聖霊を通してイエス様と共に生きているからでしょう。
今日は三位一体の祭日で、聖霊降臨によってはっきりと示された神様の特別な神秘について黙想し、その神秘にわたしたちも与ることができる恵みを祈り求める日です。今日の福音で、イエス様は昇天される前、弟子たちに指示しておかれた山でご出現になりました。そこでイエス様は彼らに福音宣教の使命をお授けになり、「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」とおっしゃいました。このイエス様の御言葉はとても大事なお招きで、この御言葉によって弟子たちは勿論、彼らの働きによって信仰の道を歩むすべての人々が、三位一体の神秘に与かることができるよう招かれているわけです。
実際、わたしたちは皆、「父と子と聖霊の御名によって」洗礼を受けました。その洗礼とは、私たちがイエス様の弟子であり、神様の子どもであることを表すしるしなのです。今日の第2朗読でパウロが語っているように、私たちは洗礼を通して聖霊をいただき、神様を「アッバ、父よ。」と呼ぶ人となりました。それはわたしたちが神様のひとり子であるイエス様と同じ相続人であり、イエス様と同じ栄光に与ることができる者であることを表しています。神様は洗礼を通して私たちに聖霊を注がれ、わたしたちがその聖霊に導かれてイエス様と共に働くことを望んでおられます。つまり、私たちは洗礼によって、三位一体の神秘に与り、神様と共に生きる人となったわけです。それは何と素晴らしい恵みでしょう。事実、神様は私たちをご自分の子どもとされ、イスラエルと結ばれた旧約を新たにし、また、完成されたのです。
今日の第1朗読はその旧約について語っています。今日、モーセはイスラエルの民に向かって、自分たちが神様によってエジプトから救われたことと、皆がその救いの御業を忘れず、神様から頂いた戒めと掟を守ることを強く教えました。その戒めと掟とは、イスラエルが神様に選ばれた神様の民であることを表すしるしで、モーセは民全体がそれを守ったら、神様からの祝福を永遠に頂けると言いました。ところが、モーセはそれを話した時、神様について「火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きている、あなたと同じような民があったであろうか。」と言いました。その火とか神様の声とかは、勿論三位一体を表す言葉でしょう。彼らは動物の血を流して三位一体の神様の民となりましたが、わたしたちは神様の御ひとり子の血によって神様の子供となりました。旧約の民がその契約を通してそれほど大きな祝福をいただいたなら、私たちに与えられる祝福は言うまでもなくもっと大きいでしょう。神様は私たちがその新しい祝福をいただくことを望まれ、洗礼を通して私たちを「父と子と聖霊」の神秘に与らせてくださったのです。それは私たちが、聖霊を通してイエス様と共に愛の働きを続けるようにとするためです。私たちがそのように働いたなら、私たちもイエス様と同じ栄光と永遠の命をいただけるのは、すでに決まっていることでしょう。
さて、御父と御子と聖霊はどのように一つとなっておられるのでしょうか。この謎のような三位一体の神秘は、勿論、人間には理解できないものです。しかし、「キリストによって、キリストと共に、キリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、すべての誉れと栄光は代々に至るまで。アーメン。」という言葉が、あるヒントを与えてくれるようです。御父と御子が分かれも隔てることもなく完全に一致し、また、互いに完全に理解し合っておられるのは、聖霊によることだと思います。聖霊は御父と御子から出る方で、御父と御子との愛の絆を示される方だと言われます。その完全な愛である聖霊はわたしたちにも与えられ、わたしたちも御父と御子の一致のうちにいることができるのです。逆に言うと、愛がなければ、わたしたちは決して三位一体のうちにいることができないということです。実は、ミサの中で、わたしたちは何回も繰り返して、別の形で三位一体の神様を賛美しています。例えば「父と子と聖霊の御名によって。アーメン。」とか「栄光の賛歌」、「使徒信条」、そして先ほど唱えた讃美歌、最後の祝福などがありますが、その中で次のような個所もあります。「まことに尊くすべての聖性の源である父よ、今聖霊によってこの供え物を尊いものにしてください。わたしたちのために主・イエス・キリストの御体と御血になりますように。」ミサは三位一体の愛の御業でしょう。愛がなければ、三位一体の神秘は勿論ミサにも正しく与ることはできません。わたしたちがいつもその三位一体の愛にとどまり、互いに愛し合い、尊重し合い、理解し合い、支え合うことができるよう、お祈りいたします。
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