今日と来週の主日には、いわゆる「山上垂訓」に続くイエス様のいくつかの談話を、福音として聴くことになります。それらの談話の特徴は、先ず昔の人たちに命じられた掟を挙げて、それからそれについてのイエス様のお教えを記すという形となっているということです。この独特な形にはある重要な目的があります。それは「山上垂訓」の「まことに幸いな人たち」が「地の塩、世の光」としてきちんと生きるための「新しい生き方」を示すためです。イエス様はこの特別な形の御言葉を通して、ご自分によって昔の掟が完成され、それに沿って生きることによって、「まことに幸いな人たち」が「新しくて完全な民」となることを表されたのです。イエス様はご自分に従う全ての人が、その「新しい生き方」を守り、そのように教えることによって、「天の国で大いなるものと呼ばれる」ことを望まれたのでしょう。

そこで今日、イエス様が挙げられた昔の掟は、「殺人、姦淫、離縁、また、偽りの誓い」についての掟でした。それに対して、イエス様は先ず、「兄弟」という言葉を使って、憎しみや恨み、殺意や蔑みの相手が「他人ではなく、あなたがたの兄弟姉妹であり、みんな尊重し合うべきである」ことをはっきりと教えられました。また、みだらな思いにとらわれず、そういう思いや行いから自分の心や魂、体を清く守ることと、結婚の絆を大事にすることについてもおっしゃいました。そして、偽りの誓いを立てることのないように、自分を正しつつ、真っ直ぐに生きることについても厳しく言及されました。すべてのものは神様が創られたものだから、自分を正当化しようとするために用いてはいけないということでしょう。

このように、イエス様は昔の命じられた掟に対して、「しかし、わたしは言っておく。」とおっしゃいながら、それらの掟を新たに教えられたのです。でも、人によっては、イエス様の新たな教えはとても厳しく聞こえるはずです。果たして、イエス様の言われた通りに生きることはできるのでしょうか。それについて、今日の第一朗読は、「その意志さえあれば、お前は掟を守り、しかも快くそれを行うことができる。」と言っています。それを守ろうとすれば、守ることだけでなく、実際に行うこともできるということでしょう。神様を恐れ、また、神様がすべての人を深く見通しておられるのを信じる人は、掟や規則を単に文字としてではなく、自ら神様の御心を深く、また、幅広く考えながら、その御心にかなう道を歩むはずです。

では、どうすればそうなれるのでしょうか。それについて、今日の第二朗読で使徒パウロは、「神様が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神様の深みさえも究めます。」と言っています。つまり、聖霊によって、わたしたち人間は神様の御心を深く、また、幅広く考えることができ、それに従って生きることができるのです。それは世の中の知恵や知識でもなく、しかも、世のあらゆる力を握っている人たちの言葉でもありません。むしろ、それらの知恵や知識、言葉に頼る人たちに、神様はご自分の御心を隠し、ただ、謙遜な人たち、ひたすら神様だけにより頼む人たちだけに、それを悟ることができる霊を与えてくださいました。まさしく、その謙遜と信頼の模範となられた方が、イエス様でしょう。

そのイエス様を通して、神様は全ての人に「救いの道」を示してくださいました。それは、単に言葉だけではなく、神様のみ旨が何かを調べ、それに従って生きる道です。わたしたちはその道に導かれて歩んでいる人たちなのです。その道に愛のイエス様と愛の霊が共におられ、わたしたちを導き、また、照らしてくださいます。それだけでなく、その道には数多くの信仰の仲間たちがいます。互いに兄弟姉妹として、愛し合い、励まし合い、支え合い、助け合い、尊重し合い、受け入れ合うならば、わたしたちの信仰の道は、喜びあふれる道となるはずです。

残念で悲しいことですが、最近トルコとシリアに大地震が起き、多くの人たちが苦しんでいます。救助を待っている人がたくさんいますが、もうすでに命を失っている人たちも大勢います。また、そこからそう遠くないところでは、戦争のさなかで苦しみと悲しみの日々を送っている人たち、また、犠牲となっている人たちもいます。まさに、戦場でも、また、大地震の現場でも、多くの人たちが自分の意志とは関係なく、人間としての人権と命を奪われています。なぜ、人間は目に見えない新型コロナウイルスとの共存は受け入れながらも、同じ命をいただく兄弟姉妹は受け入れられないのでしょうか。このミサの中で、どうかわたしたちが神様の慈しみと愛の御心に従って生きるようになることを願います。また、この世の中に神様の平和が一日でも早く訪れるようお祈りいたします。今、大きな悲しみと苦しみの中にある人たちには神様の慰めと力が、亡くなった人たちには神様の永遠のいのちと安らかな安息が与えられるよう、心を合わせてお祈りいたしましょう。