先週の主日、聖霊降臨の祭日をもって50日間の復活節が終わりました。イエス様はご自分の復活と昇天を通して、弟子たちに神様の国の栄光と、永遠の命への信仰と希望を示してくださいました。そして、聖霊降臨によって使徒となって遣わされた弟子たちは、イエス様を通して成し遂げられた御父である神様の慈しみと愛の救いの御業を、福音として宣べ伝えました。聖霊は使徒たちと共に働き、彼らを通して神様の新しい民を「教会」として呼び集められたのです。こうして、教会は初めの時から、父と子と聖霊の神様と共に働く共同体となったわけです。
今日は三位一体の祭日です。聖霊降臨によって、わたしたちは「神様は父と子と聖霊の三位として存在され、本性は分かれることのない唯一の主・唯一の神様である」ことがわかりました。言い換えれば、神様は位格としては三位ですが、神様という本性はただ一つであるということでしょう。でも、この神秘はあまりにも深いので、人間の知性では理解できないはずです。ですから教会は、この神秘を信じるべき教理とし、すべての信者が信仰を持って、この神秘を味わうようにと勧めているわけです。では、どういう風に味わえばよいのでしょうか。
先ず、使徒パウロがコリントの教会へ送った手紙の一部分を聴いてみましょう。「賜物はいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。」これは、先週の聖霊降臨の祭日に聴いた第二朗読の一部分ですが、わたしはこの言葉が三位一体の神秘をよく示していると思います。この言葉によると、賜物は聖霊が、務めは主・キリストが与えてくださり、すべての働きは御父である神様がなさいます。その御父である神様の御業の中で一番大きなものは、言うまでもなく、人間を罪と死から救うための御業でしょう。
今日の福音はニコデモとの対話の一部ですが、そこでイエス様は「神は、その独り子をお与えになったほど、世を愛された。」とおっしゃいました。つまり、イエス様が来られたのは、御父である神様の慈しみと愛によるものであるということです。その愛によって来られたイエス様の使命は、世を裁くことでなく、むしろ、世の裁きによって十字架上でご自分の命をささげることだったのです。それは、ご自分を信じる人々が滅びないで、永遠の命、すなわち、復活の命を得るためでした。この使命を果たすために、イエス様は常に御父がご自分を通して働けるように努め、聖霊を通して御父の望んでおられることを考え、また、そのように行われたわけです。それを考えたら、イエス様を動かしたのは御父である神様の愛であり、イエス様を力づけたのは聖霊だったに違いありません。こうして聖霊は、救いの務めを果たされるイエス様のために豊かな恵みと力を与え、イエス様のその務めを通して、御父である神様は働かれたのです。そして、その働きと恵みと務めが、聖霊によって生まれた教会に任せられたわけです。
今日の第一朗読で、神様に出会ったモーセは「確かに頑なな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」と願いました。その願いは教会のために願う「しるし」のようです。実に、わたしたちは、御父である神様の慈しみとイエス様の愛、そして、聖霊の恵みを通して、三位一体の神様の神秘に招かれ、また、受け入れられた人たちです。ですから、わたしたちもまた、その三位一体の神様のようにならなければならないということでしょう。父と子と聖霊が、人間を救うための御業を成し遂げられたように、教会もその神様の嗣業として、その救いと愛と慈しみの活動を果たすべきです。
さて、わたしたちはすべての祈り、特にこのミサを始める際に、十字を切りながら「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。」と唱えます。それは十字架を通して三位一体の神様が救いを全うされたことと、わたしたちもそれを信じ、行う人であることを表しているでしょう。また、今日の第二朗読にも書いてありますが、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に。また、あなたと共に。」と、司祭と共同体が挨拶します。それは、単なる祝福とか挨拶を交わすことだけでなく、三位一体の神様の交わりにわたしたちが与れるよう、願い祈ることでもあります。それを願う共同体だからこそ、全てを共にすべきだと思います。実に、教会のすべての奉仕や活動、努めには色々ありますが、それをお与えになるのは同じ主であり、それにふさわしい賜物をお与えになるのは同じ聖霊であり、その奉仕と活動と務めを通して働かれるのは御父である神様です。その奉仕と活動と務めには、それぞれ特定の係や奉仕者がいますが、それはその人たちの特権でなく神様のものであり、神様はもっと多くの人がそれを味わうことを望んでおられます。そのお望みに叶うようになるためには、みんなが神様の務めと賜物と働きを共にし、共にその喜びを味わうことの大事さを認識しなければなりません。わたしたちの共同体が三位一体の神秘に生きる共同体となれるよう、お祈り致します。