今日の福音は、イエス様が五つのパンと二匹の魚で、五千人を満腹させた出来事の後のことを語っています。イエス様は強いて弟子たちを舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせました。そして、一人でその群衆を解散させ、それから祈るために一人で山に登られました。ところが、イエス様と別れた弟子たちの舟は、逆風のために悩まされていました。きっと、その危うい舟に乗っていた弟子たちは慌てふためいていたはずです。その船の中の光景は、わざわざ言葉で表現しなくても十分想像できると思います。多分みんな、何とかしてその危機から生き残ろうとして、必死だったに違いありません。でも、なかなか思い通りにならなかったのでしょう。その荒い逆風の中で心もばらばらになって慌てていた弟子たちの舟に、イエス様は静かに近寄って来られました。やっと救われるでしょうか。しかし、そのイエス様の姿を見た弟子たちは驚きながら、「幽霊だ。」と叫び声をあげました。そこで、イエス様は、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と、苦しんでいた弟子たちに声をかけてくださったわけです。

それを聞いたペトロは、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」と答えました。そして、「来なさい。」というイエス様の声を聞いた彼は、その言葉通りに、水の上を歩いてイエス様のところへ向かい始めました。でも、歩いている間、強い風に気がついて怖くなった彼は、そのまま沈みかけてしまい、結局「主よ、助けてください。」と叫ぶことしかできませんでした。そこで、イエス様はすぐに手を伸ばして彼を捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」とおっしゃいました。そして、イエス様がペトロと一緒に船に乗り込むと、風は静まりました。

思い返してみると、弟子たちは以前にも、イエス様と一緒に船に乗っていた時、嵐に遭ったことがありました。その時も彼らは慌てていましたが、イエス様は彼らと一緒に居ましたが、眠っておられたのです。そこで、彼らはイエス様を起こしながら、「主よ、助けてください。おぼれそうです。」と叫びました。そして、起き上がったイエス様は、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」と言われ、風と湖とを叱られると、湖はすっかり凪になったわけです。

しかし、今日の弟子たちの様子は全く違います。今日の福音に書いてある舟には、イエス様はおられず、弟子たちだけが乗っていました。真っ暗な夜中、逆風に悩まされている舟に乗っていた弟子たちは、どれほど怖かったでしょうか。でも、だれ一人イエス様を捜し求めようとしなかったようです。そればかりか、水の上を歩いて来られるイエス様を見た彼らは、「幽霊だ。」と叫んだのです。もはや、彼らの心はイエス様から離れてしまっていたに違いありません。その舟にはただ信仰の薄い人間同士が乗っていて、その上、みんなの心はバラバラになって慌てふためいていたはずです。そのまま自分なりの方法で、その危機を乗り越えようとしていたのでしょうか。しかし、イエス様を中心としようともせず、イエス様を捜し求めようともしていなかった彼らに、できることは何一つありませんでした。ただ、大声で叫びながら、互いに責め合い、論じ合いをしていたわけです。その信仰の薄い弟子たちの舟に向かって、静かに歩いて来られたイエス様の心は、どれほど辛かったでしょうか。

その物騒がしい舟から、ペトロも逃げたかったかもしれません。彼は、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」と言ったのです。そして、実際に水の上を歩き始めましたが、それもしばらくだけでした。彼は強い風に気がついて怖くなり、沈みそうになりました。きっとイエス様を忘れてしまったのでしょう。湖に沈みかけていたペトロを見ておられたイエス様は、すぐに手を伸ばして彼を捕まえ、救ってくださいました。 結局、ペトロも自分の弱くて薄い信仰をあらわにしたのです。

聖書に記されている言葉の中で、「舟」という言葉は教会を表す場合が多いです。代表的にはノアの箱舟がありますが、特に、福音に書いている舟という言葉はほとんど、教会を意味しています。今日も福音には舟が登場しました。しかし、その舟にはイエス様はおられませんでした。きっと、イエス様はご自身がいない舟、つまり、ご自身を失った教会の様子を示そうとしておられたのでしょう。イエス様を失った教会はバラバラになり、自分なりの経験、知識、やり方などに捕まった物騒がしい舟になってしまいます。今日の第二朗読で、パウロは自分の同胞について、「彼らはイスラエルの民であり、神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束も彼らのもの」と言いました。でも、そうだとしても、イエス様を認めず、差し出されたその手に捕まろうともしなかったら、その豊かなものは何の役にも立たなくなるでしょう。教会も同様です。偉い人たちが多い教会より、自分をへりくだる人たちが多い教会のほうがましです。ただ、イエス様の愛にだけ捕まりましょう。それこそが、愛による救いの近道ではないでしょうか。

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