今日は、神様の救いの御業が完成された聖霊降臨の祭日です。神様はイエス様を通してその救いの計画を実現し、ついに、聖霊降臨によって、その御業を完成されたのです。その救いはイエス様の十字架と復活から示されました。その十字架と復活によって、世の罪と死を滅ぼされ、それに捕まっていたすべての人は解放されたのです。そして、神様はその自由民となった人々をご自分の新しい民とされました。また、その民のしるしとして「ご自分の霊、即ち、聖霊」を注ぎ、その新しい民を「教会」と名付けてくださったのです。ですから、今日は聖霊降臨によって生まれた「教会の誕生日」と言われるわけです。

ところで、聖霊によって生まれた教会には、特別な務めが授けられています。それは、イエス様を通して成し遂げられた神様の「救いの御業を証しする」ことです。今日の第一朗読で、イエス様の弟子たちは聖霊をいただき、色々な国の言葉で「神様の偉大な業を語りました。」その偉大な業とは、勿論イエス様のことでしょう。その時まで、弟子たちはユダヤ人を恐れて、イエス様のことを公に告げ知らせるどころか、身を隠していました。しかし、聖霊をいただいてから、彼らは聖霊に導かれて隠れ家から飛び出し、聖霊が語らせるままにイエス様のことを語り始めたのです。その時から、聖霊は彼らを導き、彼らと一緒に働いて、言葉だけでなく、様々なしるしを行わせてくださいました。そこで、弟子たちは、もはや、イエス様のことを学ぶ「弟子」ではなく、「使徒、つまり、遣わされた人」となったわけです。

今日の福音の中で、イエス様は聖霊降臨について、前もって示されました。イエス様はその聖霊を、「弁護者、また、真理の霊」と言われました。それは、弟子たちが自分たちと世の中的な知識や力、言葉を頼りにせず、ただ弁護者・真理の霊に導かれなければならないことを示すためだったでしょう。彼らは、初めからイエス様と一緒にいましたが、それだけでは十分だとは言えません。大事なのは、自分ではなく、聖霊により頼み、また、任せることなのです。そうしないと、彼らの証しは、イエス様の栄光を現わすものでなく、ただ、自分の栄光を現わすものとなるでしょう。こうして、イエス様は聖霊降臨から始まる教会の正しい生き方と、ありさま、また、目指すべきことについてはっきりと示されたわけです。

今日の第二朗読は、「聖霊によって結ばれる素晴らしい実」について語っています。それは、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」です。朗読は、聖霊による実だけでなく、肉の欲望を満足させることによる実についても言及しています。肉の欲望、つまり、自分を満足させることとは、「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、妬み、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。」これらは、ただ、個人の肉身的な汚れだけではないし、個人を汚すだけにとどまるものでもありません。それ以上、力を振るい、教会を汚し、汚れだらけにしてしまうのです。わたしたちはそれを警戒しなければなりません。そのためには、常に、神様の息吹である聖霊に向かって心を開き、聖霊によって新たになろうとすべきです。教会は、自分の力でなく、あくまでも神様の恵みによって救われた人たち、その神様の力を素直に認めて信じる人たちの集まりです。わたしたちもその品格を失うことがないよう、お祈りいたします。

さて、今年も聖霊降臨のカードを作りました。このカードは記念品でも、お守りでもないし、そのように扱ってもいけません。ただ、一年間、そこに書いてある恵みを祈り求めていただきたいと思います。それぞれのカードに書いてある恵みは一つだけですが、みんなが一つとなって祈り求めたら、七つの恵みが全部わたしたちに授けられるでしょう。こうしてわたしたちは一つとなり、神様の真の民として生きていけるはずです。どうぞ、よろしくお願い致します。