■姜神父メッセージ

2022年3月27日  四旬節第4主日の説教

四旬節が始まった途端、予想しなかった事情があって、八日間教会から離れていました。最初は色々複雑な気持ちでしたが、時間が経てば経つほど、教会ではないところに慣れてしまい、戻ってくるときには、何か名残り惜しいという思いもありました。あまり長くもなかったのに、ずいぶんのん... つづきを読む

2022年3月6日  四旬節第1主日の説教

いよいよ今年の四旬節が始まりました。四旬節はイエス様がメシアとしての公生活を始める前、荒れ野で行われた四十日間のことを黙想しながら、そのイエス様の受難と復活を準備する期間です。その四十日の間、イエス様はただ祈りと断食をなさりながら、人間の救いのための、神様のみ旨を探... つづきを読む

2022年2月27日  年間第8主日の説教

韓国では、大人の信者同士が互いの名前を呼ぶ時、相手の名前に洗礼名を付け、そのあとに兄弟様、或いは、姉妹様という敬称をつけます。例えば、わたしの場合は、「姜眞求 ヤコブ兄弟様」という風に呼ばれるのです。一体いつからそのように呼び合うようになったのかは分かりませんが、プ... つづきを読む

2022年2月20日  年間第7主日の説教

今の時代にはあまり見かけませんが、わたしが助任司祭として働いていた時代には、いわゆる「爆弾神父」と呼ばれる先輩司祭たちが、たまに若い助任司祭たちの口に上ったりしました。「爆弾神父」とは、周りの人たち、特に、共に働く助任司祭を苦しめる神父のことです。司祭のことを司祭が... つづきを読む

2022年2月13日  年間第6主日の説教

「長くて霊的にも内容のない説教は、神の言葉を単なる抽象的な観念におとしめてしまい、人の魂を目覚めさせることもできない。」これは今週のカトリック新聞の第一面に書いてある、司祭の説教についての教皇様のお話です。その記事を読みながら、わたしは大きく共感しながらも、自分の説... つづきを読む

2022年2日6日  年間第5主日の説教

朝日を受けて輝いている湖のほとりに、イエス様は立っておられます。そこに多くの人々が集まりました。皆、イエス様から神様のみ言葉を聞こうとして、押し寄せて来たのです。そこで、イエス様は二そうの舟が岸にあるのをご覧になりました。漁師たちは夜通しの仕事で疲れているようでした... つづきを読む

2022年1月30日  年間第4主日の説教

新型コロナウイルス感染症の状況も二年が経ち、三年目を迎えました。この病気がいつまで続くかという心配や不安は勿論、個人的には果たして人類がこの病気から自由になれるのかという疑いも抱いています。とにかく、神様の慈しみと憐れみを願いながら、みんなが一層注意を払って生活する... つづきを読む

2022年1月23日  年間第3主日の説教

今日は年間第三主日で、「神のみことばの主日」にあたります。それは全世界の信仰のある人たちが、神様の御言葉にもっと忠実になるようにと、教皇フランシスコによって制定された主日です。日本教会の場合はどうか分かりませんが、韓国の場合、「カトリック教会の信者さんたちは、聖書を... つづきを読む

2022年1月16日  年間第2主日の説教

今日の福音で、イエス様はガリラヤのカナで行われた婚礼に招かれて、水をぶどう酒に変え、ご自分の初めてのしるしを示してくださいました。そもそも、イスラエルの婚礼は当日の儀式だけでなく、それから始まる婚宴の期間全体をも含んでいるものです。その間、参列者たちは互いに喜びを... つづきを読む

2022年1月9日  主の洗礼の説教

今日は主の洗礼の祝日で、イエス様がヨルダン川でヨハネの洗礼を受けられたことを記念する日です。イエス様は罪のない方でしたが、罪と死の陰にある人間の救いのために、自ら人となられました。永遠で聖なる方が時間と空間の限界のあるこの世、しかも、あらゆる汚れで満ちているこの世に... つづきを読む