■姜神父メッセージ

2022年12月25日 主の降誕のミサの説教 

いにイエス様の誕生を記念するクリスマスとなりました。主のご降誕祭、おめでとうございます。主のご降誕祭にあたって、わたしたち人間のために来られたイエス様の愛と恵みが、信者の皆さんの上に豊かにあるよう、また、すべての人の心に、イエス様の誕生の喜びと平和が注がれるよう、お... つづきを読む

2022年12月18日 待降節第4主日の説教 

「夢を見ている聖ヨセフ像」、また、「寝ているヨセフ像」と言われる小さな聖像があります。先月、三年ぶりに韓国に行った時、わたしは初めてそれを見ました。その聖像は、小さな荷物を枕として寝ている聖ヨセフを表現した物で、その聖像のことはフランシスコ教皇様のお陰で全世界に広ま... つづきを読む

20223年12月11日 待降節第3主日の説教 

二俣川教会の建物の屋根が斜めなので、自然に3階の司祭館の天井も斜めです。来日したばかりの時、しばらく3階で生活しましたが、その時にはその斜めの天井はあまり気にならなかったし、むしろ、その斜めの天井にある窓ガラスから見える夜空がとても素敵に思えました。しかし、主任司祭に... つづきを読む

2022年12月4日 待降節第2主日の説教 

韓国教会では普通、互いに相手を呼ぶ時、その人の名前、或いは、洗礼名の後ろに「兄弟」とか「姉妹」を付けて呼びます。もし、相手が自分より年上の方であれば、或いは、あまり親しくない方であれば、「兄弟」「姉妹」の後ろに「様」を付けたりします。日本教会の信者の皆さんにとっては... つづきを読む

2022年11月27日 待降節第1主日の説教 

再び待降節が始まり、全世界の教会はイエス様の誕生の準備を始めました。毎年、待降節は世の中の年末年始とほぼ重なって始まります。ですから、わたしたちはクリスマスや年末年始へのあわただしさの中で待降節を過ごしているような気がしますが、教会としては待降節から新しい年をすでに... つづきを読む

2022年11月20日 王であるキリスト(祭日)の説教 

いよいよ典礼暦による一年の最後の主日を迎えました。今日は「王であるキリスト」という祭日で、イエス様だけに真の王権があることを告白し、その栄光を賛美する日でもあります。イエス様は、天使ガブリエルのお告げの通り、ダビデ王の子孫としてお生まれになり、神様のみ旨を果たして救... つづきを読む

2022年11月13日 年間第33主日の説教 

「神殿」とは「そこにおられる神様を礼拝するための建物」でした。そもそも神殿は、「おられない所のない神様(無所不在の神様)」が、ご自身の民の中におられるのを表すための建物だったのです。神殿の最初の形は天幕でしたが、それはエジプトから解放されたイスラエルの民が四十年間荒... つづきを読む

2022年11月6日 年間第32主日の説教 

イエス様が安息日の次の日の朝、つまり、週の初めの日に復活されて以来、教会は毎週のその日、すなわち、日曜日を「小復活祭」と認識してきました。そして、その「主の復活の日」ごとに、イエス様の復活を信じている人たちは教会に集まって、共にミサをささげながらその復活信仰を告白し... つづきを読む

2022年10月30日 年間第31主日の説教 

「井の中の蛙、大海を知らず。」ということわざがあります。これは知識や学識、経験などが足りないのに、偉い人かのようにふるまう人。或いは、自分だけの世界に閉じ込もって、すべての物事を自分勝手に理解しようとする人のことを表す言葉だと思います。でも、その憐れな蛙も、例えば大... つづきを読む

2022年10月23日 年間第30主日の説教 

先週の月曜日から金曜日まで、横浜教区司祭団の黙想会が、軽井沢にある御聖体の宣教クララ修道会軽井沢修道院で行われ、わたしも参加しました。軽井沢は標高が一千メートルぐらいの高い地域にあり、また、海岸ではなく内陸地なので、湿度が低く、ちょっと寒かったですが、ちょうど今頃の... つづきを読む