■姜神父メッセージ

2022年11月6日 年間第32主日の説教 

イエス様が安息日の次の日の朝、つまり、週の初めの日に復活されて以来、教会は毎週のその日、すなわち、日曜日を「小復活祭」と認識してきました。そして、その「主の復活の日」ごとに、イエス様の復活を信じている人たちは教会に集まって、共にミサをささげながらその復活信仰を告白し... つづきを読む

2022年10月30日 年間第31主日の説教 

「井の中の蛙、大海を知らず。」ということわざがあります。これは知識や学識、経験などが足りないのに、偉い人かのようにふるまう人。或いは、自分だけの世界に閉じ込もって、すべての物事を自分勝手に理解しようとする人のことを表す言葉だと思います。でも、その憐れな蛙も、例えば大... つづきを読む

2022年10月23日 年間第30主日の説教 

先週の月曜日から金曜日まで、横浜教区司祭団の黙想会が、軽井沢にある御聖体の宣教クララ修道会軽井沢修道院で行われ、わたしも参加しました。軽井沢は標高が一千メートルぐらいの高い地域にあり、また、海岸ではなく内陸地なので、湿度が低く、ちょっと寒かったですが、ちょうど今頃の... つづきを読む

2022年10月16日 年間第29主日の説教 

今日のイエス様のみ言葉は、「気を落とさずに祈らなければならないこと」の大事さに関するお教えです。そこで、今日はわたしたちの祈りの生活について、信者の皆さんと考えてみたいと思います。まず、祈りについてのある面白い話を紹介させていただきたいと思います。 「二人の修道士が... つづきを読む

2022年10月9日 年間第28主日の説教 

教会はミサと言われる聖体の秘跡や他の六つの秘跡を始め、様々な形の典礼を通して、信者の皆さんの信仰を深め、また、神様からの恵みをもっと豊かに頂くことができるように努めています。例えば、十字架の道行きやロザリオの祈り、或いは、毎日決まっている時間にささげる教会の祈りなど... つづきを読む

2022年10月2日 年間第27主日の説教 

人生を生きていると、自分のやりたいことだけをやりながら過ごせるというのはあり得ないし、自分の思い通りにならない場合の方がもっと多いと思います。むしろ、やりたくないことも頑張ってやらなければならない、また、思い通りにならなくても、それを我慢しなければならない場合がほと... つづきを読む

2022年9月25日 年間第26主日の説教 

今日の福音のタイトルは「金持ちとラザロ」となっていますが、この例え話の背景には先週と先々週の主日の福音の状況があります。その状況はイエス様が徴税人や罪人と一緒におられた時、それを見つめていたファリサイ派の人々や律法学者たちの不平からこの話は始まります。そこでイエス様... つづきを読む

2022年9月18日 年間第25主日の説教 

週の主日の福音で、イエス様は三つの例え話を通して、神様の慈しみと愛の深さを示し、その神様に立ち返ることの大事さを教えてくださいました。それらの例え話は、「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエス様に近寄ってきた」とき、それを見つめながら「この人は罪人たちを迎えて、食... つづきを読む

2022年9月11日 年間第24主日の説教 

世の中には、「カトリック教会は人間の罪意識を強調する傾向がある。」と思っている人たちがいるようですが、信者の皆さんはどう思われますか。多分、言いにくいと思いながらも、それに同意する信者も多数おられるでしょう。特に「赦しの秘跡」を巡っては、「どうして、教会は罪の告白を... つづきを読む

2022年9月4日 年間第23主日の説教 

今日の福音は、大勢の群衆がイエス様についてきたときの様子から始まっています。この場面は多分、イエス様がエルサレムに向かっておられるときのことだと思いますが、イエス様はその群衆を振り向いて、「わたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であ... つづきを読む